幸せな透析人生 人に優しく

人に優しくするのは難しい

歳をとるたびに思う

その優しさはその人のためになっているかを考える

例えば私が不慮の事故が起こり居なくなってしまったらと

母は一人で生活ができるかはたまた病気したら入院したらまわりとうまくできるかと

入院したら一人を痛感する

それは病気だからといい病院は甘やかしてはくれない

医師看護師は患者の退院後の生活を憂うからだ

退院する時に必ず退院後の生活を聞かれる

医師は総合的判断で退院をさせる

もし退院後に不安があれば施設行きになる

ここに我が国の介護の事情が関係する

高年齢化が進み何もできない老人が増える

そして老人介護施設に送り込むケアマネジャーの存在

施設に入った老人は生きる気力もなくなり

ただ人生の終焉を待つ

施設に自由なぞない 自由を与えたら介護するほうは見切れないからだ

施設に入ったら自由はなくなる それだけは、覚悟しないと

よく施設にいる人は一人暮らしを看護師などに話すが看護師は無理だと言う

そのほうが社会的に楽だからだ

 

昭和時代は価値観が皆 同じだった

あの頃は皆 貧しかった

コロッケがご馳走だった ハンバーグなぞ夢の食べ物だった

家庭料理がご馳走だった

おにぎりに味噌をつけたものがおやつだった

お腹空いた時はキャベツにマヨネーズをかけて食べた

親は仕事でいないからだ

そうやって空腹を凌いだ

今の子供にわかるかな カップラーメンもない時代だ 貧しいからお小遣いもない

高い食べ物を親にねだるなんてできない したらげんこつが飛んでくる

あの頃は貧しさに家族で闘っていたね どこの家庭でも

人に対しての優しさがあった

 

少しでも今 思いだして優しさを取り戻したい

そんなことを思う正月の三が日だ